人生は愛とお金と神様であると。ナルホドと頷ける。
愛欲は男女の合一、一体、現世利益は地位はお金との一体、真理の探究は神仏と一体化すること天人合一、即身成仏である。
モンスターカレンダー
37歳の頃、私は天城山中で夢の丸太小屋建設に取り組んでいた。
大白然の中で一人、チェンソーの音だけが響く中で毎日汗をかいていた。
遠く林の中を鹿が走っていくのが見えた。実に美しい大きな鹿であった。時折、パパァーンと狩猟の銃声が聞こえた。
麓の食堂の主人が猟が好きで東京の本郷から引っ越してきていた。時々、猪や鹿の肉を食べさせてくれた。私も山に住み着いていて、いつの日が猟をしたいと夢みるようになっていたので良く聞いたものだった。
「どうやって鹿を獲るのですか」「うーむ、鹿を獲るときは自分が鹿になるんだよ」「えっ?」私はわかったようで、わからない妙な気持ちだった。
伊豆にきて3ヶ月もしただろうか。借りていた芽葺民宿の前にあった大きな石を割る作業があった。81歳になる石工の石田さんがその仕事に取りかかった。石田さんによく海から獲りたての白魚をもたっていた私は石田さんの手伝いをかって出た。
「わしは石が割れる道筋がわかるから君はハンマーで打ちなさい」と石田さんは言った。「わかりました。」石田さんは大きな石の上でじいっと石を見て言った。「ここでよい。打ちなさい。」「ハイッ」私はハンマーを打ち下ろすと石は見事に割れた。「痛っ!」石田さんが声を上げたので、私は「スイマセン。手が舜れましたか」と言った。「何をバカな、今、石が痛っと言っただろう」と真顔で私に言ったのだった。「えっ、石が?」私はわかったようなわからないような妙な気分のままうなづいた。
この二つの話は忘れてしまったが、心の奥に残っていたのだろう。
十ケ月を経て丸太小屋はついに完成に近づいた。最後の一本を切るときだった。チェンソーの扱い方も相当に慣れてきた。よし、コレが最後だなあと太い丸太にチェンソーを入れたとぎギャーヅという丸太の叫び声を聞いた。
その瞬間、忘れていた二人の話の意味がわかった。
一心に打ち込んでいく人間は対象とー体になってしまうことをハッキリと体験した。
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